コンバンワ、経塚丸雄です。
まずは、メリークリスマス。
折角のクリスマスだから、
「戦国期のクリスマス」「日本で最初のクリスマス」等について語ってみましょう。
(戦国無興味の方は逃げて下さいね!)
(1) 日本で最初のクリスマスは?
1549年にフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えました。
その3年後、1552年12月24日(旧暦・天文21年12月9日)にザビエルの後継者
であるコスメ・デ・トーレスが、周防国(山口県)の司祭館に日本人信者たち
を招待、もてなしたのが「本邦初のクリスマス」と言われております。
(2)当時もクリスマスと呼ばれていたの?
当時はクリスマスではなく、ポルトガル式にナタラと呼ばれていたそうです。
ナタラとは「産まれる」とか「生誕」との意味です。
ま、キリストの生誕祭ですからね。
イタリアでは今でも、古風な人はクリスマスと呼ばずに「ナターレ」と呼ぶ
そうですよ。
ちなみに「ナタリ~」はフリオ・イグレシアス。
(3)どんなクリスマスだったのか?
切支丹風土記によれば――
意外にも、今とあまり変わらない風景なんですよね。
ミサや説教の後に食事会。
島原では聖歌隊が讃美歌を歌ったし、大分では聖劇が上演されました。
(4)聖劇の演目は「失楽園」だった?
1560年、大分で聖劇「失楽園」が日本人信者によって上演されました。
脚本を書いたのは有名なルイス・フロイスだったとか。
非キリシタンの日本人も演劇を観たさに遠くからやってきた由。
アダムとイブがエデンの園を追われる場面では、観客は皆、号泣だった由。
2000人もの観客が押し掛け、次回からは予約制にしたとか。
(5)クリスマス休戦は本当にあったのか?
ルイス・フロイスは下記のように書いています。
「京都で、敵味方双方から70名もの武士がクリスマスに参加した。その間は仲
良くし争う事はなかった」
確かに、クリスマス休戦みたいですね。
でも、正確な年代と当事者は記されていないのです。
永禄11年(1568)織田信長と松永久秀の間でクリスマス休戦が実施された説
と永禄9年(1566)に三好三人衆と松永久秀の間で……説があります。
どちらの説にも、松永久秀が顔を出すので彼は当事者でしょう。
ところが、1566年の12月前後、松永は京都にいないのです。
となると――
1568年に織田信長と松永久秀説がクリスマス休戦した説が優勢です。
翌年(1569)信長はフロイスに布教を許していますしね。
俺は一応、この説を支持したく思います。
それでは、明晩19時に!