コンバンワ、経塚丸雄です。
「アハハ」は……もとい真田マルタロウ幸村は、本当は真田信繁(のぶしげ)という名前だったみたいですね。
それがなぜ、偽名を名乗るハメに陥ってしまったのか? そんなお話を致します。
武田信玄の同母弟に、武田信繁さんという方が実在します。
この方、兄の信玄を支えて大活躍されたのですね。
武田24将(信玄麾下の24人の勇者)の一人で「武田の副大将」と呼ばれていたほど。
第四次川中島戦(一騎打ち伝説のある有名な戦い)で討死されておられます。
真田は、武田家の家臣でした。
アハハの祖父・幸隆の代から仕えました。
アハハの父である昌幸は、信玄と勝頼の二代に仕え、武田家を支えました。
アハハが、真田幸村と記された最初は、死後60年の江戸期に刊行された軍記物「難波戦記」だそうです。
君臣の義が最重要徳目だった江戸時代。
「主筋に武田信繁がいるのに、家来筋の真田が同じ信繁を名乗るのは不忠だよね」
と、作者さんが考え、幸村という名を発明したようです(篠原説)。
幸村を名乗った形跡は皆無(あっても、偽文書)なので、
明らかに「発明」だと思います。
ま、偽名が命名された動機が、江戸期の感性にはピッタリ来たのでしょう。
その後、幸村が定着して現代に至ります。
いよいよ二月に入りましたね。
本ブログも四ヶ月目に突入します。まだまだ頑張りますよ!
応援よろしくお願い致します。
ではまた、明晩19時に!