【決定版・戦国の旗】これで馬印と旗印の区別がつくようになる!

コンバンワ、経塚丸雄です。

 

まずは、漫画を御覧になって下さい。

 戦国時代の旗・幟の種類

 ほんで……

ここから先は戦国無興味の方は逃げて下さい。若干マニアックな話をしますね。

 

戦国の将兵たちは、多くの旗や幟(のぼり)をなびかせて戦場に立ちました。

元々は平安・鎌倉からの「流旗」が起源なのでしょうが、

あれは、風がないと垂れてはためかないし、木の枝に巻き付いて面倒なのです。

 

そこで戦国期に入ると「乳(ち)」と呼ばれる小布を幾つか旗に縫い付け、

それを竹竿に通すことで「幟」が登場しました。これは便利!

 

実は、昨日の「織田シナモン信長」でかなり踏み込んだ時代考証がなされていて、

戦国マニアの経塚としては、痺れてしまいました。

本能寺を囲んだ桔梗紋の旗指――乳が一体化して袋状になっていました。

あれはリアルです。戦国後期になると、あのような旗指が一般化したのですね。

脚本にはそこまで指定しておりませんので、あれは監督さんなりが拘られた証だと思います。感心しました。

 

旗や幟の機能としては、大きく三種に分類できます(と、経塚は考えています)。

 

(1)本陣や大将の所在を示すための印

     旗印、馬印

 

(2)味方の識別や戦場での役割を示すための公的な印

     指物合印、母衣、使番指物

 

(3)個人が自分の存在を誇示、示威するための私的な印

     自分指物

 

 

旗印は、武将が自分の信条などを記した大旗で、本陣に掲げられました。

上記漫画の2コマ目の「欣求浄土」は徳川家康の旗印として有名です。

正確には「欣求浄土厭離穢土」と記していました。

意味は「こんな穢れた現世より、とっとと浄土に行きたいな」とか。

早い話が「浄土が待ってるから、死を恐れないぞ!」との意でしょうか。

武田信玄は孫子の言葉「風林火山」を、

上杉謙信は信仰する毘沙門天の「毘」を旗印としていましたね。

 

馬印は、武将の意匠(デザイン)性が生きるオブジェです。

機能は旗印と同じで、本陣・大将の所在を示しました。

上記漫画の2コマ目の「金色扇子」は家康の馬印です。

他に、豊臣秀吉の「瓢箪(ひょうたん)」や織田信長の「金色唐笠」が有名ですね。

 

指物合印は、上記漫画1コマ目の「葵紋の幟旗」がそれです。

「さしものあいいん」と読みます。

合印指物(あいいんさしもの)でもOKです。

よくテレビや映画の合戦シーンで、足軽たちが背中に掲げていますよね。

指物は「旗」「背中に背負った旗」ぐらいの意味。

合印は「味方を示す印」の意です。

合印には、同士討ちを防ぐ目的があり、当初は鎧の袖や腰に小旗を着けたりしていたようですが、戦国中期以降は、指物を合印として使うようになりました。

ま、この方がカッコイイし、派手で目立そうです。

 

母衣は、大きな竹籠に薄い布を被せ、背中に背負った指物です。

「ほろ」と読みます。

大将の側近(馬廻役、使番、小姓衆)で武勇に優れた者が、許可を得て背負いました。

戦場で「母衣武者」を倒せば(討ち取れば)、加増は間違いなしだったかも。

ただし、母衣武者は豪傑揃いですので、突っかかる方も命懸けです。

 

使番指物は、伝令が背負った特殊な旗です。

「つかいばんさしもの」と読みます。

徳川家の「五」、武田家の「百足の絵」は有名です。

戦場での伝令は重要任務ですので、優先的に道を譲られたと思われます。

通行証みたいな機能があったのでしょう。

でも、敵側からしたら、使番を狙い撃ちにしたでしょうね。

連絡系統を途絶させられますから。

あまり目立たない方がよかったかも……ハハ。

 

自分指物は、個人が好きな意匠、文字、紋所などを記して背負った旗です。

(ただ自由ではなく、大将の許可が要ったとか)

乱戦の中で功名をあげても、その立証は困難です。

討ち取った敵の首級を切りとって持ち帰るのはそのためです。

だから、せめて自分指物を派手にして、周囲の証人に期待したのでしょう。

  「鍾馗の指物の武士が、〇〇殿を討ち取ったのを見ました」

  「おお、鍾馗の指物といえば、✖✖に相違ない。✖✖の手柄である」

……みたいなね。

ちなみに、鍾馗の旗指は本多平八郎忠勝の指物です。

 

ま、大体そんな感じです。

 

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ではまた明晩19時に!

 

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