コンバンワ、経塚丸雄です。
城に石垣を本格導入したのは、安土城の信長が最初と思っとりましたが、
去年の夏、三好長慶の飯盛山城の発掘で、大規模な石垣が出土したらしいです。
安土城より十年前だとか……つまり、信長はパイオニアじゃない?
でも、石垣の上に天守を建てたのは安土城がお初かも!
今後の研究が待たれます。
ちなみに(1)
飯盛山城は、後に信長が攻め落とし、ボロクソにし、廃城にしちゃいました。
アイデアを先んじられたのが、よほど悔しかったのでしょうかね?
ちなみに(2)
現在執筆中の「三河雑兵心得3・足軽小頭仁義」(6月刊行)には、1570年に着工した浜松城大改修の話が少しだけ出てきます。飯尾氏が籠る曳馬城を攻め滅ぼした家康が、曳馬城に大改修を加え、浜松城と改名しました(曳馬は「馬を退く=負ける」に繋がるから縁起が悪い)。
その浜松城の土塁には、一部石垣が使われています。
土を盛り上げただけだと崩れやすく、土塁の上部に建造物が建てられないのですね。
そこで、土塁の上部に数段だけ石垣を築き、その上に櫓などを建てました。
これを「鉢巻石垣」と言います。
反対に、土塁の基部が水濠と接している場合は(水で侵食されないように)最下部に数段の石垣を築きました。
こちらは「腰巻石垣」と言います。
ちなみに(3)
話は飛びますが……3月21日は「ミニピンの日」だそうです。
3・2・1で「ミ・ニ・ピン」……巧い!
それではまた、明晩19時に!