【織田シナモン信長・第11話】大反省会!城と石垣とミニピンの日

コンバンワ、経塚丸雄です。

 

城に石垣を本格導入したのは、安土城の信長が最初と思っとりましたが、

去年の夏、三好長慶の飯盛山城の発掘で、大規模な石垣が出土したらしいです。

 

安土城より十年前だとか……つまり、信長はパイオニアじゃない? 

でも、石垣の上に天守を建てたのは安土城がお初かも!

今後の研究が待たれます。

 

ちなみに(1)

飯盛山城は、後に信長が攻め落とし、ボロクソにし、廃城にしちゃいました。

アイデアを先んじられたのが、よほど悔しかったのでしょうかね?

 

ちなみに(2)

現在執筆中の「三河雑兵心得3・足軽小頭仁義」(6月刊行)には、1570年に着工した浜松城大改修の話が少しだけ出てきます。飯尾氏が籠る曳馬城を攻め滅ぼした家康が、曳馬城に大改修を加え、浜松城と改名しました(曳馬は「馬を退く=負ける」に繋がるから縁起が悪い)。

その浜松城の土塁には、一部石垣が使われています。

土を盛り上げただけだと崩れやすく、土塁の上部に建造物が建てられないのですね。

そこで、土塁の上部に数段だけ石垣を築き、その上に櫓などを建てました。

これを「鉢巻石垣」と言います。

 

反対に、土塁の基部が水濠と接している場合は(水で侵食されないように)最下部に数段の石垣を築きました。

こちらは「腰巻石垣」と言います。

 

ちなみに(3)

話は飛びますが……3月21日は「ミニピンの日」だそうです。

3・2・1で「ミ・ニ・ピン」……巧い!

 

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それではまた、明晩19時に! 

 

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