コンバンワ、経塚丸雄です。
この後、金曜深夜25時23分(=土曜超早朝1時23分)から第七話が、テレビ東京系で放送されます。
(テレビ大阪・金曜26:10。テレビ愛知・金曜26:5 )
是非、ご覧になって下さいね。
ネタばれにならない範囲でお話しますと……
戦国期の槍は、なにしろ長かったです。
普通でも5・4ⅿ、織田家は6・3ⅿもの長い槍を使っていました。
ここまで長くなると、むしろ使い難くなります。
槍を旋回させたり、敵の甲冑の弱点を正確に狙ったり――そんなこと出来ません。
では、どう使ったか?
長い槍(長柄と呼んだ)のトリセツ&トリビア
(1)足軽の槍部隊が密集、穂先を揃えて前進した(槍衾)――誰も止められない。
(2)交戦するときは「突く」より「叩いた」。長大な槍で叩かれると、甲冑の上
からでも大きなダメージを受けたようです。
(3)長時間の移動時は、石突(穂先の反対側)の辺りを持ち、引き摺って歩いた。
2・7ⅿ程度の槍でも一貫(3・75㎏)あったそうですから、倍以上もある6・3
ⅿの長柄は、さぞ重かったことでしょう。
(4)6・3ⅿの槍……長い柄の材料はどうしたの?
樫の細棒を芯とし、周囲を割った竹で囲み、籐で巻き、上から漆で固めた。
どれだけでも延長可能だったようです。
信長は6・3ⅿの槍隊を創設する時、模擬戦をやって試したそうです。
6・3ⅿ部隊vs2・7ⅿ部隊の模擬戦です。
2・7ⅿ部隊は槍の使い手(プロ)で編制、6・3ⅿ部隊は槍の素人で編制した由。
結果、2・7ⅿのプロ集団は、6・3ⅿ素人隊にまったく歯が立たなかった。
近づくことさえ出来なんだ由。
それを見た信長は、6・3ⅿの長槍隊の創設に踏み切ったとか。
この6・3ⅿの長槍隊を指揮したのは若き日の秀吉だった――との説もあります。
それではまた、明晩19時に!