真柄直隆と本多平八は本当に戦ったのか?

コンバンワ、経塚丸雄です。

 

姉川の戦いで、徳川方の英雄・本多忠勝が、朝倉勢の勇者・真柄直隆と一騎打ちをやったとか、やってないとか…両説があって悩ましいです。

小説で姉川を描く予定があって「やった説」で書くべきか「やってない説」で行くべきか迷っております。や、マジで。

 

まず、WIKIです。

真柄直隆のページに「平八郎と戦った」との記載はありません。

 

ほう、ないんだ。

でも、戦国系のサイトやブログのほとんどは「一騎打ちあった説」ですよ。

 

で、古い書物を調べてみますと…

太田牛一の信長公記には「真柄は青木一重が倒した」とあり、

山鹿素行の「武家事記」には「真柄が討たれた」としか出てきません。

その他、多くの書物では「勾坂兄弟が討ち取った」とあります。

有名人・本多平八郎の名は出てこないんですね。

もし豪傑同士の一騎打ちがあったとすれば、

物書きの性として、それを省略するはずはないんですけどね。

菊池寛などは「一騎打ちは演出でしょう」みたいなことを書いてます。

 

一方「やった説」は、18世紀に書かれた栗原柳庵の真書太閤記が根拠です。

勾坂兄弟が真柄相手に苦戦しているところに、本多平八が駆けつけて…はいはい。

この展開、確かに演出くさいっすね。

そもそも、この真書太閤記って「講談のまとめ」みたいな本らしいです。

(講談が題材をとっていた読み物「太閤真顕記」が真書太閤記のネタ本とか)

 

ま、様々勘案し、経塚は「一騎打ちなかった説」に一票を投じることにします。

 

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ほんじゃ、また明日19時に!

では!