コンバンワ、経塚丸雄です。
第七話で、次男坊云々の話が出てましたね。
あれはあれで完結しているお話ですが、その背景をちょっとだけ話そうと思います。
戦国期の兵隊さんたちは、基本、職業軍人ではなかったのです。
パートタイマーです。
武将(農場経営者)から足軽(農民)に至るまで、平時は農業を営んでおりました。
当然、家は農村にありました。
武士は城下に住むもの――は、江戸期のお話です。
で、大名から「戦争するよ。兵隊連れて集まって」と声がかかったときだけ、武将たちは配下の農民たちに鎧を着せ、槍を持たせて大名の居城に馳せ参じ、軍役を果たしたわけです。つまり、農民=兵士でした。
大名たちも配慮を見せ、農繁期を外した農閑期にだけ戦争をしたものです。
そこに信長は目を着けました。
「ほんなら、職業軍人のみで軍隊作ったらええがね。他の戦国大名たちが農繁期で
忙しくしとる時季を狙って戦争したるがや……奴ら、嫌がるど~」
と、考えたに相違ありません。
生産者としての農民と職業軍人としての武士を、最初に別けて考えたのは彼でした。
所謂「兵農分離」です。
アニメにもあった通り、信長は当時厄介者扱いされていた次男以下をリクルート、
手足となって働くフルタイマーの職業軍人部隊を創設しました。
彼らは信長から給料を貰い、城下に住みました。
農民ではないので、農繁期も農閑期も関係なく速攻で出撃可能です。
片や、平時には田畑を耕し、有事のときだけ各村々から集まる農民部隊。
片や、平時には槍や鉄砲の訓練をし、同じ釜の飯を食って団結した職業軍人部隊。
両者が戦えば、そりゃ、後者が強いに決まってます。
普通の県立高校のサッカー部と、セミプロ化した私立校のサッカー部とが試合するようなものですかね。
「この制度、ええで~、あんた(家康)もやってみたってちょうよ」
と、信長は同盟者であった家康にも勧めます。
ちょうど家康も三河一向一揆鎮圧で大苦労、直属部隊の必要性を痛感していました。
家康は「旗本先手役」と呼ばれる部隊を創設、有名な本多平八郎や榊原康政を部隊長に抜擢したのです。
一説に、家康は200騎だった直属部隊を、一挙に600騎にまで増やしたとか。
この制度変革なくして、織田の天下布武、徳川の天下統一はなかったのです。
今年、このまま鎌倉に雪は積もらないんですかね?
暖冬ですものね。
大雪だと、それはそれで文句が出るのですが、雪景色が楽しめないのも不満。
夜の内に薄っすら積もり、翌日の午後には溶けて消える。そのぐらいがベストです。
ま、そう都合よくはいきませんけどね。
ではまた、明晩19時に!