明暦の大火、旧暦1月18日に出火!

コンバンワ、経塚丸雄こと井原忠政です。

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江戸城は、皇居部以外は基本入場可です。

北ノ丸公園から濠を渡って北詰橋門を潜ると、

すぐに「天守台跡」が見えてきます。

天守自体はなく、

巨石の土台だけが残されています。

上ってみたこともありますが、絶景です。

明暦3年(1657)まで、ここには

地上五階、地下一階の天守が聳えていました。

地上から54mの高さがあった由。大天守です。

 

明暦の大火で焼失し、

再建計画もあったのですが、

「天守より、町屋の復興を優先すべし」

との意見が出て(保科など)

以降、再建されることはありませんでした。

 

 明暦3年1月18日は、

新暦に直すと、1657年3月2日に当たります。

死者は10万人とも――

被災者は数十万人でしょうから、

厳冬期でなかったのは不幸中の幸いでしたね。

 

出火の原因ですが――

失恋し、早世したお嬢様の振袖が

「呪いの振袖」と化し、

次々と不幸を呼んだので、

本郷丸山の妙本寺で「呪いを払おう」と

該振袖を「お焚き上げ」しようとしたら、

振袖は燃え上がって屋根に舞い上がり、

屋根に引火、大火の端緒になったらしい。

 

ほんとか?

 

また、妙本寺の裏が時の老中の屋敷で、

そこが火元だったとも。

妙本寺は老中の罪を身代わりに背負った?

傍証として、

老中の家(阿部家)は、明治に至るまで

妙本寺に多大なる喜捨をし続けたとか…。

 

ほんとか?

 

他にも、江戸の都市計画を進めたい幕府が、

「計画的に放火した」との説もある。

 

マジか?

 

ま、諸説ございまして真相は藪の中です。

 

それではまた、明晩19時に! 

 

 

本チューブのインタビューを受けました。

オトーさんが醜態をさらしております!

視てちょ!

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